○1日目午後
始めにリユースびんの洗浄事業を行っている田中商店でお話を聞きました。「環境モデル都市づくり」を目指している水俣市では23種類のごみの分別収集を実 施しています。田中商店では、ゴミの発生抑制と省エネルギーの観点から、こうして収集したビンを洗浄してボトラーに再使用してもらうシステムを、水俣を拠 点として南九州で確立し、さらに全国への発信を行っています。水俣だけでなく全国から集められた空きびんが山のように積まれている様子、様々な規格のびん に対応可能な洗びん機による洗浄やそのチェックの現場などを見学しました。また、キズなどにより規格外となったびんは砕いてカレットにされ、市内の「リグ ラス(Re-Glass)ロード」という通りの舗装材などとしてもリサイクルされています。
次に訪れた家電リサイクルのアクトビーリサイクリングでは、冷蔵庫、エアコン、テレビ、洗濯機などを解体して部品ごとに手で分解、その後機械で粉砕して材 質ごとに分けられる過程を見学しました。プラスチックリサイクルのリプラテックでは、家庭から出るプラスチックゴミを、洗浄、比重分離、磁気選別などの工 程を経て廃プラスチックペレットにしていました。
「公害のまち」から「環境のまち」へと生まれ変わりつつある“環境モデル都市みなまた”の実践的な一面を見ることができたエコタウン見学でした。
○2日目午前
19日朝には、水俣病センター相思者の水俣病歴史考証館を見学しました。相思社は、1974年に水俣病患者および関係者の生活全般の問題について相談、解 決につとめ、また水俣病に関する調査研究・普及啓発を行うことを目的として設立されたNGOです。現在は患者等の集会の場、また水俣病を学びに訪れる人々 のための宿泊研修施設ともなっています。歴史考証館には、以前の水俣の漁業道具から窒素関連の看板や製品、水俣病裁判に関るたくさんの新聞、書簡、そして 90年以降現在にいたる「もやい直し」に関する動きなど、約100枚の写真・パネルによる展示が見る人に訴えかけます。「もやい直し」の言葉には、水俣病 の真実を語り伝え、被害者・加害者が協同でつながり、地域を再生振興していこうという願いが込められています。
○2日目午後
相思社職員の方の案内で水俣の街を巡りました。「百間排水口」からは、かつて1932年から政府が公害に認定する1968年まで、アセトアルデヒドの製造 工程で副生されたメチル水銀化合物が排出されていました。ここには、新潟水俣病の起こった阿賀野川の石で作られた地蔵が寄贈されています。
有機水銀に汚染された大量の魚やヘドロをドラム缶につめて埋めた58ヘクタールの水俣湾埋立地は、現在は親水護岸となっています。水俣を象徴するモニュメ ントが平和を象徴し、患者らが彫ったお地蔵様の石像が50体ほど、海を眺めて置かれています。
続いて茂道、湯堂という2つの漁村も訪れました。穏やかで美しく澄んだ海では、現在も漁業が活発に営まれています。地元の人が釣りをしたり、いりこを干したりしている風景がみられました。
高台にある陣の坂からは、水俣市が一望できます。その中心には広大な敷地にチッソ水俣工場がそびえ、昔も今も、水俣が市民に多くのチッソ関係者を抱える企 業城下町であることがよくわかります。水俣駅正面の本社正門前では、1988年9月からチッソとの直接交渉を求める市民らにより210日間の座り込みが行 なわれました。
○3日目
水俣湾埋立地である「エコパーク水俣」にある水俣市立水俣病資料館を見学しました。同資料館は、「悲惨な公害を二度と繰り返してはならない」という、水俣 市民の強い願いのもと、水俣病問題を世界の人々に伝え、後世への警鐘としていく活動を続けています。またここには、熊本県環境センターと国立水俣病総合研 究センターの、趣旨の異なった施設も隣り合って建てられています。
最後に当事者の生の声を直接伝える「語り部制度」で、水俣病運動の指導者的存在であった川本輝夫氏の妻、川本ミヤ子氏のお話を伺いました。現在9人の患者やその家族がこの語り部として登録され、訪問者に体験を語り継いでいます。 |