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フィールドワーク

月日 テーマ 場所
2007年11月16日(金)
-17日(土)
八ツ場(やんば)ダム計画地(川原湯温泉)を訪ねる 群馬県吾妻郡長野原町
 名勝吾妻渓谷の八ツ場に、国がダムを建設すると発表したのは1952年のこと。以来、半世紀以上の歳月が流れましたが、事業は遅れ、いまだにダム本体の 着工にはいたっていません。社会状況の変化により、利水治水の両面で必要性が疑問視され、さらに、災害誘発の危険性などの様々な問題が指摘されています。
今回は、「八ツ場あしたの会」事務局長の渡辺洋子さんのご案内の下、群馬県吾妻郡長野原町を訪れ、ダム建設による水没予定地(川原畑地区、川原湯地区、 林地区、長野原地区)などを見学してきました。下記のホームページもご参照下さい。
→ 八ツ場あしたの会・八ツ場ダムを考える会ホームページ
→ 国土交通省八ツ場ダム工事事務所ホームページ
■プログラム<11月16日(金)>
17:00  山木館集合
17:30  宿にて勉強会<11月17日(土)>
09:45  山木館を出発
10:00  ご案内いただく渡辺洋子さんと、午前中ご一緒いただくことになった
参議院議員の川田龍平さん、群馬県議会議員の角倉邦良さんのグループと
「そば処白糸の滝」で合流
10:25  吾妻渓谷を県道沿いに散策
11:10  一部水没予定地の長野原地区の代替地を見学
林地区の代替地(林地区の地すべり地形、長野原第一小学校)を見学
元八ツ場ダム反対期成同盟林地区委員長の篠原政信さんのお話を聞く
全水没地区の川原畑地区の代替地を見学
12:30  「そば処白糸の滝」で昼食
13:40  吾妻渓谷を散策
14:15  全水没予定地、川原湯地区の新駅予定地を見学
「やんば館」を見学
全水没予定地、川原畑地区にある「三ッ堂」を見学
15:20  「三ッ堂」にて解散
▼報告
【11月16日(金): 1日目】
今回は事務局を含め総勢9名で群馬県吾妻郡長原町へ向かいました。17:00ごろ宿泊先の「山木館」で合流。17:30からの勉強会までに、それぞれ共 同浴場「王湯」や山木館の内風呂・露天風呂を楽しみました。「王湯」ではあいにく工事のため露天風呂には入れませんでしたが、内風呂は素朴でなかなかの風 情でした。
17:30から勉強会。八ッ場ダム事業の概要をおさらいし、ダム建設の論点を「治水効果」「水需要」「地質のもろさ」「水質」「自然環境破壊」「生活再 建」「財政負担」などの観点から整理して、翌日の現地見学にそなえました。
▲宿泊先の山木館です。露天風呂では本物の水車が廻っています。 ▲まず、勉強会。温泉に入りに来ただけではありません。 ▲勉強会のあとは、夕食。とりあえず、ビールで乾杯です。
【11月17日(金): 2日目】
山木館で「栗おこわ」の朝食を楽しんだあと、出発。ご案内いただく渡辺洋子さんとの待ち合わせ場所に向かう前に、まずダムサイト予定地に立ち寄りまし た。2010年の完成予定とのことですが、ダム本体の工事はまだまだ時間がかかりそうな印象を受けました。
10:00に渡辺さんと午前中ご一緒いただくことになった川田龍平さん、角倉邦良さんのグループと合流したあと、近くの滝見橋へ向かいました。渡辺さん から「八ッ場」というのは旧川原畑村の字(あざ)の名であり、八ッ場の名のついた沢もあると伺いました。滝見橋から吾妻川の上流を望むと「八ッ場大橋」が 見えます。ここを通る「吾妻線」は、群馬鉄山からの鉄鉱石の輸送のために開業したそうですが、現在は観光用として利用されているとのことです(鉄山は 1965年に閉山)。
八ッ場ダム事業の着工にこれだけの時間がかかった理由の一つには、水質の問題があります。上流の草津白根山から流れ込む強酸性の水、硫黄鉱山や鉄山から 流れ込む排水で、今は澄んだ水をたたえる吾妻川も赤茶けた“死の川”と呼ばれた時期もあったそうです。
吾妻川を中和するための品木ダムの完成(1965年)の後、八ッ場ダム計画が再浮上したことは皮肉としか言いようがありません。
▲山木館での朝食には「栗おこわ」と食べきれないほどのおかずが並びました。 ▲ダムサイト予定地です。後ろの看板に描かれているダムの完成図はなぜか空洞です。 ▲滝見橋から見た八ッ場大橋。紅葉には、一足遅かったようです。
滝見橋をあとにして、国道145号沿いに吾妻渓谷を散策しました。当初のダム建設予定地(現在のダムサイトは当初の予定地より、600m上流に位置す る)を見学。近くには大蓬莱(だいほうらい)、小蓬莱(しょうほうらい)と呼ばれる岩山があり、当初はこの場所にダム建設を予定したようです。
そして、一部水没予定地の長野原地区の代替地に向かいました。ここは、坪10万円とのことです。ダムの完成予定は2010年ですが、まだ第一期の分譲が 終わったばかりで、電気、電話、道路などライフラインの整備はまだまだ進んでいないとのことでした。
空地ばかりの代替地に、まさに“そびえ立つ”モダンな造りの「モデルハウス」が印象的でした。
この地域全体にいえることですが、代替地の価格が高く、多くの人たちが都市部に移転してしまったとのことです。水没をまぬがれる長野原草津口駅前の喫茶 店や商店などの多くがすでに店を閉めたそうで、地域経済の「存続」が難しくなっています。
▲当初のダムサイト予定地付近で渡辺さんのお話を伺いました。 ▲吾妻渓谷です。昔、“死の川”と呼ばれていたとは思えません。 ▲坪10万円の長野原地区の代替地。まだ第一期の分譲が終わったばかりです。
そして、一部水没予定地の林地区の代替地に向かいました。この長野原地域は浅間山の噴火による「応桑岩屑(おうくわがんせつ)ながれ」とよばれる土砂が 堆積した場所で、とても地質がもろく、地すべりが多発する地域だそうです。この「もろい地質」もダム建設を遅らせている一因です。新築された長野原第一小 学校を望む丘に向かう途中にある「地すべり地形」で、このお話を渡辺さんから伺いました。
そのあと訪れた砂防ダム直下の長野原第一小学校は、校舎が新しいだけに余計危なく感じられました。30数名の生徒のために、こんな立派な校舎が必要なの かとの批判もあるそうですが、このような危険な土地に小学校があることを問題視すべきだとは、一同の一致した意見でした。
▲長野原第一小学校に向かう途中にある「めがね橋」からの風景。ダム建設による吾妻線の移転工事は着々と進められていました。 ▲林地区の地すべり地形。もろい地質を持つこの地域にダムを建設することの危険性を考える必要があります。 ▲長野原第一小学校。裏山には砂防ダムと無数のアンカーが埋められています。
長野原第一小学校をあとにして向かったのは、林地区でダム建設の反対運動を組織されていた篠原さんが経営されている「篠原農園」です。篠原さんには 、りんごをごちそうしていただきました。そのあと、ダム建設推進派の福田赳夫氏と反対派の中曽根康弘氏との対立に象徴された1960年代中盤から、福田赳 夫氏と反対派の田中角栄氏とが対立した「角福戦争」の1970年代前半に繰り広げられた地元の反対運動、そして1980年代、中曽根政権下でダム建設の諸 手続きが進められるに 至るまでの流れをかいつまんでお話いただきました。篠原さん、貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。
篠原農園をあとにして、全水没地区予定地の川原畑地区の代替地へ。ここでもまだ分譲は始まっていませんでした。すぐそばに 立派なお墓がいくつもあり、墓地も代替地へ移転しているとのお話を伺いました。
▲元八ツ場ダム反対期成同盟林地区委員長の篠原政信さんです。もうすぐ80歳とは思えないほど、お元気です。 ▲篠原さんにりんごをいただいたあと、主に1960年代から1980年代ごろまでのお話を伺いました。 ▲川原畑地区の代替地です。代替地の整備はまだまだ進んでいない様子です。
ここで、川田さん、角倉さんのグループは午後の高崎での講演のためにご出発されました。そのあと、我々は「そば処白糸の滝」に向かい、昼食をいただきました。
昼食のあと、吾妻渓谷を国道沿いに再び散策。今度は、鹿飛橋まで足をのばしました。ここは、吾妻渓谷でも最も川幅の狭いところで、鹿でも飛べるということから「鹿飛」と呼ばれているそうです。
▲お別れする前に川田参議院議員との記念撮影です。 ▲「そば処白糸の滝」での昼食。「麦とろ定食」が有名なようです。 ▲鹿飛橋。高所恐怖症の人にはちょっときついかもしれません。
吾妻渓谷の散策のあとは、上湯原地区へ。ここはダム建設による吾妻線移転にともない、新駅が建設予定です。すぐ裏手では、県道も建設中でした。ダム本体 の着工はまだですが、国道や県道の建設は進み、自然はどんどん破壊されています。
▲鹿飛橋から望む吾妻川。吾妻渓谷では、この辺りの川幅が一番狭くなっています。 ▲写真横にある牛乳屋さんで休憩される観光客の方が多いそうです。 ▲八ッ場ダム広報センター「やんば館」。実はここも水没予定地です。
上湯原地区をあとにして、ダムPRのために作られた「やんば館」に向かいました。一番印象に残ったのは、駐車場からみえる国道145号線付け替え用の久 森(くもり)トンネル工事現場です。裏山の中腹で行われている工事は見るからに危ない感じがしました。地質のもろいこの地域における工事の「あやうさ」を 物語っています。
「やんば館」から向かったのは、水没予定の「三ッ堂」です。お堂の周辺にはいく体もの石仏が並んでいました。毎年8月には百八灯とよばれるお盆の送り火 行事が行われるそうですが、ここも水没予定地で、来年からは「三ッ堂」の移転先にてとり行われるだろうとのことです。
「三ッ堂」からは、川向うの川原湯温泉と代替地を望むことができました。川原湯地区の代替地の価格は坪17万円とのことです。水没してしまう温泉街と山 を削って建設中の移転先とのコントラストが、ダム建設に翻弄されてきたこの地域の50年間を象徴しているようでした。
▲やんば館の駐車場からみえる国道145号線の付け替え工事現場です。 ▲三ッ堂周辺に並ぶ石仏。ここも水没予定地です。 ▲三ッ堂から望む水没予定地の川原湯温泉と山の中腹に建設中の代替地です。
この地域に一様に感じるのは長い間の苦悩からくる「疲れ」です。地域住民間の争いや、これからの生活に対する不安、今までの反対運動が実を結ばず、結局 ダム建設を受け入れざるを得なかった多数の反対住民の絶望。ダム事業の見直しも大切ですが、この地域の活性化に向けた施策、活動が必要だと感じました。こ の地域を訪れた人は、何とか活気を取り戻してほしい、取り戻してもらいたいと感じるのではないでしょうか。
最後になりましたが、お忙しい中ご案内いただきました渡辺洋子さん、本当にありがとうございました。

文責:事務局 永井洋

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